水が巡る。

僕はよく、詞を書く事やオモイを
「水」に例える事があります。

感情は、とても流動的なモノです。
昨日嫌な気分だったけど、今日は良い気分だったり、その逆もしかり。
たった一瞬で変わる事もあれば、
子供の頃は嫌いだった食べ物が、今食べてみると案外美味しかったり。その逆もしかり。
長い年月を経て変わる事もある。

だけれども、どれだけ時間が流れても変わらないオモイというものもある。
それがどういうモノかは、人それぞれだし
一概に例をあげるのは難しいけれど、
唯一共通しているのは、
それがどんなモノであっても、
「自分のオモイ」だという事。

それは、ヒトは必ず自分だけの「水」を持ってるいるからだと思います。


僕にとって「詞を書く」というのは、
僕の中を流れる「水」を汲み取る感覚です。

一口に「水」といっても、その姿は様々です。
だから自然と僕の詞の表情も必ずしも同じという訳ではなくなってきます。

例えば、コップに入って静止した水。
かちっと字脚や構成がハマった詞。
その姿は独特の美しさや潔さ、
無駄のない普遍的なシンプルさがあります。
もしかしたらそれは、
それ以上手の加えようのない、究極の形なのかもしれません。

僕も詞を書き始めた頃はそんな作品が多かったです。

ですが、どういう訳だか
いつしか僕の「水」はコップから飛び出そうとして、
なかなか収まってはくれなくなりました。

そして色んな姿を魅せてくれます。


乾きを潤す恵みの水。

抑えきれないほどの激情の津波。

攻撃的な鉄砲水。

行く手をさえぎる霧。

どこまでも広く穏やかな海。

疲れをそっと癒すシャワー。

驚かし笑わせる為のバケツに入ったコント用の水。

悲しみや喜びがもたらす雫、涙。

花を咲かすための生命の水。


例えればキリがありません。

そして、その形状だけではなく、
温度にも変化があります。

時には、凍てつくほど冷たく硬い氷に。
時には、煮えたぎるほどの荒い熱湯に。

そして、時間が経てばまた元の温度に戻る。


また、何か別のアイテムと混ぜる事で、
コーヒーになったり、
お茶になったり、
スープになったり、
ソースになったり。


そして、水は巡るモノです。
どんな形からでも。
どんな場所からでも。


初めはコップに入った水だとして、
いつしか蒸発し、大気と混ざり
雲になり、
雨がふり、
川になって走り、
いつしか大きな海を知り、
それからも何度も表情を変え、
色んな場所へ行き
色んなモノを見て、
色んなヒトと出会い、

そしてまたいつかコップへと戻る日が来るのでしょう。
シンプルな姿に。

シンプルには大きく分けて二通りあると思います。

まだ何も知らず、
難しい事はできなくて
ただそうせざるを得ないシンプルさと、

たくさんの経験をして、旅をして、
いろんなオモイを育んだ末の
自らが選んだシンプルさ。

その二つは全然違うと思います。


今の僕の「水」はどの辺りでしょうか。
ようやく海が見え始めた頃でしょうか。
それとも、まだ雲としてふわふわ浮いている頃でしょうか。
いずれにせよ、
まだまだ僕の旅は終わりません。
これから先、一体どんな景色が待っているのか。
一体どんな出来事が起こるのか。
一体どんな感情を抱くのか。

非情に楽しみです。

そして、いつかコップの中に戻ったとしても、
それがゴールではないのだろうな、と思います。



「水」は巡るモノですから。


それでは、また明日からも詞を書いていこうと思います。


おっと、一つ言い忘れていました。


僕のこの「旅」は決して1人ではありません。

共に愛する事を感じあう、最愛の恋人。
互いに助け合い、競い合いながら成長する友人達。
僕を産みだし、守ってくれている家族達。

例えどこかで先の行く道が分かれたとしても、
またいつかきっとどこか、旅の途中で、
再び会えると信じています。

その全てに「ありがとう」を贈りたいと思います。


どうか、笑いながら元気に過ごせる日々を、
そして、皆それぞれの「水」で綺麗な花が咲き誇る事を、

胸の奥で願っています。

皆がいるから僕は、今日も僕は旅を続ける事ができます。




ありがとう。
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by karasimutard | 2005-08-06 18:05 | ♪一言
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