そうそう。イメージって大事なんだよね。

僕はメガネを持ってないので
コンタクト無しでは結構ツライのですが、
明日は世界がどーなってるかわからないってのと、
時間が経つと上手く言えないじゃないか心配なので、
今日中にこのオモイを残しておきたいと思うので書きます。

えーと、なんだっけ?
そうそうそう。詞の話。

僕はつい最近まで、厳密に言えば思いついたのは3、4日前、
僕なりに消化して心からそう思える様になったのは約25時間前、
まで、「ストーリー詞って全てが自分の経験や
実際にそんな状況にあった事じゃないから、
本当の意味で『自分の詞』って言えるのか?」
って事でものすごく悩んでたんだけども、

でもさでもさでもさでもさで、
人間て例え自分がその時までに経験してなかった事でも、
今あるモノでそれをイメージする事ができる動物だから、
たとえそれが完全なる想像であったとしても、
それはたくさんの「自分」で構成されていて、
「自分の中の誰かの話」だったとしても、
「自分の中の誰かも、やはり自分」なんだよね。

逆を言えば、人間が想像できる事って全て必ず実現可能な事なんだよ。
そりゃ「空を飛びたい」って思ってた事は
飛行機なりロケットなりと少しずつ形は変わる事はあるけども。

そして更に逆を言えば、自分の中に全く何のソースがなければ想像すらできないと思う。
例えばそれが性別的、時代的にも絶対に経験できないモノだとしても、
ちょっと非現実的な意見だけど、もしかしたら太古の記憶がDNAに刻まれてるかもしれないし。
それに、自分以外の人と多く接する事で、自分の事ではなくとも
見えてくる事ってのも確かにあるし。

別にストーリー詞だけに限定した話じゃなくたって、
例えば特に意味のない単語の羅列の組み合わせの詞だとしても、
そこには必ず自分のメッセージやオモイや経験や
希望や絶望や水や音や陰や陽やヨロコビやカナシミや色んなモノが
反映されているんだよ。
全部が全部その全てが詰まってるとは一言では言えないけどもさ。

だから、例えどんな形態の詞を書いたとしてもさ
それが自分のモノじゃないって事は絶対ないんだよ。
良くも悪くもさ。
例えモノマネだったとしても、それは一度自分の中に入れて咀嚼して飲み込んで
消化したモノならば良いと思う。消化しきれてなくても良いと思う。
モノによっては消化するのに何年もかかる事もあるしさ。
何度も思い、書く事によって少しずつ消化する事だってあるしさ。
もちろんパクリとは全然違うよ。全く別さ。
その辺のコトは言わなくても分かると思うけども。

ようやく、こんな簡単な事に僕は気付く事ができました。
何を焦って見失ってたんだか・・・。


8月15日。
この日は終戦記念日でした。
こういう日だけ戦争の事を考えるのは「どうなの?」と思うかもしれないけども、
こんな日があるからこそ、しっかりと考えるのも、大切なコトだと思います。



長い間、自分と戦ってきた僕も
ようやく終戦を迎える事ができました。
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by karasimutard | 2005-08-16 02:49 | ♪一言
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