無駄。是必要。

小学生の時、ペンを回したり
輪ゴム鉄砲したり、下敷きを人差し指にのせて回したり、
あとは、手を広げて机にのせて、
指の間をえんぴつでダダダダダッてつついたり(コンパスでやる猛者もいた)、
そんなたとえ世界一の達人になっても、自慢にならないような、
職業にもならないような、そんなムダなテクニック。

夢中になってやってた気がする。

正直な話、できたからって偉くもなんでもないし
できなくても特に何も困らない。

でもさ、

そういうのって、勉強とかよりも遥かに楽しかったのも事実。
ムダな事ほど没頭するんだよなぁ。

最初のきっかけは「なんとなく」なんですよ。
なんとなく始めて、癖になって、なんか上手くなって、
友達に見せたら「おぉ、すげぇな」なんて言われちゃった日にゃぁ、
よりスゴイ事やってやろうと必死になって改良に改良を重ねて
新しい技なんて生み出しちゃったりして。
で、他のみんなもなんかマネしだして、
その中に「天才」とかが現れて、尊敬とかされて、
切磋琢磨して、互いの腕を磨いて、ライバルなんてできちゃって、
大会なんていう事にまで発展して、
こうして一大ムーブメントが訪れる。

終いにゃ、
「何組のだれだれが、両手で下敷き回せるらしいぜ!」とか
「こないだあいつが目隠しでコンパス使って指抜き(こう呼んでた)してたらしいぜ!」とか、
そんな「伝説」まで創られて
どこまでホントでどこから嘘かも分からないような噂も流れる始末。

勉強できなくても、運動できなくても、ゲーム下手くそでも、

誰にでも、ヒーローになれるチャンスがあった小学生時代。


でも、どんなブームでも必ず終わりは来る。
誰かが一人、「飽きた」という理由でやらなくなって、
一人、また一人と抜けていく。
季節が変わり、外が暖かくなれば
「ドッジボールやろうぜ!」なんつって、校庭が賑わえば、
所詮は不健康なインドアテクニック。
あっというまに冷める。
というより、醒める。

勉強もスポーツもダメなやつほどこういうのに夢中になっていて、
頂点を極め、英雄だったやつも一夜にして一転、
「お前ドッジボール弱いな!」
なんて言われて玉座を追われる。

その栄光は誰の記憶にも、どこの記録にも残らない。


そしてその英雄も、いつしか飽きてしまい、
こうして完全に幕を閉じる。。。



だけどさ、たまたまこのブームは廃れちゃったけど、
もしかしたら、これが世界そのものを変えてしまうほどの崇高な
「芸」となる未来もあったのかもしれないよ。

音楽だって彫刻だって陶芸だって絵画だって、
全ての芸術は
原始の時代までさかのぼれば始まりは
「なんとなく」
だったのかもしれないよ。

いたんだな。
人類史上始まってから、初めての「暇人」が。

狩りも家事もできない役たたずなやつが
家で留守番中に
暇で暇で、しょうがなくて
とりあえず骨とか叩いてみて、
で、叩く箇所によって音が違う事に気付いて
色々試していく内になんか楽しくなって。

多くの人は、
「そんな無駄な事やめて、狩りの仕方でも覚えな!」
なんていうんだけど、

その中でも、数少ない理解者が現れて

一緒に色んな音を探すことに夢中になって、

中には草で「笛」なんてモノを作り出しちゃう「天才」とかも現れて

ある時、「音はもしかしたら無限の可能性を秘めているのかもしれない」
なんて考えちゃう「思想家」なんてのも現れちゃって、


きっとその立役者となった人たちは、やっぱりみんな狩りも家事もできない
暇なやつらだったんじゃないかな。


こうして原始の時代に「音楽」ってモノの基盤ができたんじゃないかな。

全ては、「なんとなく」から始まって。

「そんな無駄な事・・・!」なんて言われてたけど、

「芸術」の始まりってこんな感じな気がするよ。

心の余裕。

時間の余裕。

そんなモノが織り成す。



無駄。是必要。



むしろ、無駄とも思える遊び心がないとなぁ。



しかし、相変わらずなっげー文章。
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by karasimutard | 2005-05-29 05:26 | ♪一言
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