思うに

コトバ、とは
自分の心の泉の表面に
ぼこぼこと溢れ浮き出てくる泡みたいなもので。
その泡の、形や量や色やスピードとかで
コミュニケーションを取る訳だけど、

だけど、そのもっと下の方、
泉の底に沈んでいるものから泡が出てるんだけど、
それに触れたくて、触れて欲しくて、

だけどいかんせんそれは実態のないモノだから、
見たり聞いたり触ったり理解したり説明したりされたりではなくて、
ただ、感じる事でしか味わえないけど、
でもどう感じるかは、
その人それぞれの過去の経験や記憶などに
照らし合わせて考えるようにしか人間の脳はできていなくて、
だから、少しずつズレが生じるけど、
それはそれで良いんだと思う。

さっきも言ったけど、実態はないモノだから、
僕の目から見たモノと
誰かの目から見たモノとでは
同じモノを見ても、
違うように映るのはごく自然で、

昔はその違いがすごく気になったけど
今はその違いが大事なんだと思える。

それに、
例えば僕の見た「青」が
誰かの見た「青」じゃなくても
二人とも「青」を見ているのは間違いないわけで。

逆に、
僕は「赤」を見たと思っていて
誰かは「緑」を見たと思っていて
だけどホントは二人とも「白」を見ているのかもしれないわけで。



でも、結局それが本当は何色なのかという事よりも
どう感じたのかの方がずっと大切なわけで。



僕の泉から浮き出る泡。
それを見た人はどう思うだろうか。

楽しみである。

でも、なるべく僕は底にあるモノを
そのままの形で伝えたいから
僕は僕の混ざり気のない、
嘘、偽りのない、
誰かのマネではない、
僕の形、量、色、スピードの泡を
できるだけ高い純度のまま
コトバとして吐き出したいと思うのです。

みんなも、そうなのだと思う。



それで良いのだ。
[PR]
by karasimutard | 2005-06-13 13:56 | ♪一言
<< でも、 和歌山の山と海 >>